2014年公開の映画は、『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』『アメリカン・スナイパー』『6才のボクが、大人になるまで。』『博士と彼女のセオリー』『セッション』など、そうそうたる顔ぶれ。
どの作品が受賞してもおかしくなかったが、結果は『バードマン』が作品賞を含む4冠という圧倒的な強さを見せた。
上記の5作品は劇場やBlu-rayで鑑賞してどれも素晴らしい作品だったが、『バードマン』は作品賞らしく、玄人向けという声もあり、そのまま観ずに来てしまった。
先日ムービープラスで放送があった為鑑賞し、期待以上の面白さだったのでラストシーン
の解釈含め感想を書いていく。
※以下ネタバレを含む感想レビューです。
あらすじ
リーガンのキャリア
かつてヒーロー映画『バードマン』で主演を演じ、一世を風靡したリーガン。
だがその後のキャリアは振るわず、今は何をするにも輝かしい過去の幻影がついて回る。
年も取り落ちぶれた彼は再起を懸け、自身のキャリアの原点であるレイモンド・カーヴァー原作の舞台「愛について語るときに我々の語ること」をプロデュースする。
残された私財も投げ打っての一世一代の大勝負だ。
代役のマイク
しかし初の舞台は思い通りに進まない。
キャスティングされた俳優とかウマが合わないと不満を募らせていた。
ある日その彼は現場の事故(?)で大怪我を追い、降板を余儀なくされた。
代役には共演者のツテで、名の売れた俳優マイクが呼ばれた。
マイクは期待以上の演技力を見せ、前任の4倍にもなる給料もリーガンは身を削って出す決意をする。
しかしマイクの個性も想像以上で、プレビュー公演では観客の前で舞台をぶち壊し、あげく新聞のインタビューでは主演のリーガンを差し置いて一面を飾って見せる。
リーガンはマイクとぶつかりながらも本番へ向け進んでいく。
リーガンのプライベート
リーガンはキャリアだけでなく、私生活もうまくいっていなかった。
娘のサムは現在付き人として、文句を言いながらも協力してくれている。
しかしかつては薬に溺れ、今はリハビリ施設を出て更生中の身でもあった。
サムとの親子の関係も、とても良いものとは言えなかった。
別れた妻への未練も断ち切れず、現在の交際者であるローラとの関係も順風満帆とは行かなかった。
プレビュー公演でのアクシデント
最後のプレビュー公演となるこの日。
出番前、リーガンは突然マイクとサムの交際を知り動揺する。
気持ちを落ち着けるため外へ出て一服するマイクだが、ふいにドアが閉まり、そのまま締め出されてしまう。
次の出番も迫っている中、意を決したリーガンはドアに挟まったバスローブを脱ぎ、ブリーフ姿でニューヨークの街中を歩き、劇場へと戻る。
しかし道中多くの人々に「バードマンだ!」と気づかれ写真や動画を撮られてしまう。
何とか劇場に戻るとそのまま舞台に立ち、観客が動揺する中ラストシーンを演じ切った。
どん底のリーガン
公演後サムとやっと親子らしい会話をするリーガン。
「他の人から言われるより」と言い、サムは自身の携帯を見せる。
そこでリーガンは、自信がブリーフ姿で歩く姿がYouTubeにアップされ、数十万回も再生されてしまっている事を知る。
再起を懸けた舞台の本番を前に、払拭できない醜態を世間に晒してしまったリーガン。
その後バーで飲んでいると、ニューヨーク・タイムズの演劇批評家であるタビサの姿があった。
彼女の批評次第では舞台の打ち切りすらあり得るほど影響力を持つタビサに、「明日あなたの舞台を酷評する」と言い放たれたリーガン。
リーガンの演技
酔いつぶれたリーガンは、本番の朝を街中の路地で迎える。
そして彼に付きまとっていた声の主バードマンが姿を見せ、リーガンに本来の居場所を示唆する。
本番の夜、リーガンは控え室にある本物の拳銃を手にした。
舞台のラストで主人公は愛について語り、最後は自らの頭を撃ちぬき終演となる。
いつもと同じようにセリフを語るリーガンは、最後いつもの様に自らの頭に銃を
当てる。
だがこの日は、仕掛け付きの偽物ではなく、本物の銃弾で自らの頭を撃ちぬいた。
観客たちは沈黙の後、大きなスタンディングオベーションを起こし幕が閉じる。
ここで冒頭から続いたワンカットの映像も途絶える。
無知がもたらす予期せぬ奇跡
リーガンは病室で目を覚ます。
どうやら放った銃弾は頭でなく、鼻を撃ちぬいた事で一命を取り留めたようだ。
そしてリーガンは新聞でのタビサの批評に耳を疑う。
「無知がもたらす予期せぬ奇跡」と書かれ、リーガンの演技をタビサが絶賛していたのだ。
テレビでもファンが回復を待っていると知らされ、サムは花瓶を持ってくると言い部屋を後にした。
リーガンは鏡の前に立ち顔の包帯を取ると、整形された鼻が鳥のように鋭くなっていた。
そしてそこでバードマンに別れを告げる。
窓から飛び去る鳥の姿を見たリーガンは、自らも窓の外へと飛び出した。
病室に戻ったサムはリーガンの姿を探し、開いていた窓に身を乗り出す。
下を見た後上空に顔を上げると笑顔を見せ、サムの笑い声でエンドロールに切り替わる。【END】
感想
ラストシーンの解釈
ラストシーンの解釈は個人的には…
入り込みすぎたリーガンは最後、自ら舞台で死ぬ事を選んだ。
動揺し取り返しのつかない醜態を晒してしまい、 批評家との関係も終わったからだ。
自分の様に、あの逆境での俳優魂に震えた観客も少なくはないはずだ が
本人は初日にどれ程渾身の演技を見せても、 再び名声を得る事はないと思ったのかもしれない。
拳銃の弾を確認し、昂ぶった気持ちのまま舞台へ。
自身と重なるキャラクターのセリフを演じるでなく自身の言葉とし て吐き出し、そして引き金を引いた。
そして彼はここで死んだのだと思う。
病室のシーンはリーガンの妄想で、思わぬ評価を受け再び名声を浴びる事が約束された彼は、文字通り天にも昇る心地で飛び立った。
こう解釈した。
妄想でというのは考え過ぎで、単に舞台のラストでリーガンの物語は終わったと考えるのがスッキリする感もあるが…。
どちらにせよワンカットの画があの場面で途切れたのは、そういう意味かと。
他の解釈
いろんな人の感想を見ると、それぞれの考えがあって面白いと思った。
舞台のラストシーンは本当に撃ち損じていた為、病室のシーンも事実という考え。
これがオーソドックスな見方だと思うし、自分も最初はそう思った。
そしてサムは追い詰められたリーガンの死こそが解放だと分かっていたから、死体を確認した上で飛び立ったリーガンを想い笑った、とか。
また薬でおかしくなっていたから本当に飛んでいったように見えたとか、はたまた本当に飛んでいたとか色々。
自分の答えが正解という確信はないし、ああいう見せ方な以上捉え方は人それぞれで良いんだと思う。
ヒーロー映画を演じるということ
ただこの映画について何よりも語りたいのは、ラストシーンよりこの部分。
スーパーヒーローにより得た名声は良くも悪くも一生もの。
失敗があればメディアにはそれをネタに記事を書かれる。
そして自身もそれに依存し、切り離そうにも切り離せない。
ヒーロー映画やシリーズものを演じるデメリットがこれなんだろう なと。
だから間近ではヒュー・ジャックマンやクリス・ エヴァンスといった俳優達が、 キャリアを通じてそれになり続ける選択はせず、 ある段階で決断を下す。
例えそれを演じる限り、富と名声は約束されるとしても。
大役の後、新たな大役でキャリアを飾れる人もいれば、 やはりそのイメージのまま振るわずとなる人も。
俳優というもののリアリティを描いた作品、 それをかつてのバットマンであるマイケル・キートンが演じる事による重みと深み。
ワンカット演出に感情を表す音楽、 アカデミー賞作品賞らしく芸術的な映画だと思った。
総括
オスカーこそ獲れなかったもののマイケル・キートンの演技は素晴らしかった。
ホーキング博士を演じたエディ・レッドメインの演技は本当に凄まじかったから仕方ない。
サムとマイクを演じたエマ・ストーン、エドワード・ノートンも適任だった。
演技はもちろん、キスシーンでの2人の横顔が綺麗すぎて最高だった…。
本作は作品賞らしく確かに観る人を選ぶ映画だし、「面白くなかった」という声も批判はしない。
ただ自分は良い作品だと思えたし、そうで良かった。
最後に、これを観ると『スパイダーマン/ホームカミング』のヴァルチャーがより一層魅力的に感じるなぁと思った…。
0 件のコメント :
コメントを投稿